こんにちは、るかです。
私のオフィシャルブログに
来ていただきありがとうございます!!
現在43歳の
2人の娘と笑顔で暮らしながら
好きな仕事に情熱を燃やす
元気なアラフォーです!!!
私は23歳の時に結婚し、
翌年に長女が生まれました。
優しくて誠実な公務員の夫。
私を理解し応援してくれる素敵な人と
平和に生活している…はずでした。
でも現実は、
思ってもいない方向に進んでいました。
結婚して長女が生まれるとすぐ
夫からのモラハラが始まり
毎日のように家事育児、仕事を否定され
想像と全く違う生活を送るうちに
うつ病になってしまいました。
なんとか離婚をしたものの、
うつ病を抱えた生活はつらいものでした。
子どもはまだ6歳と3歳。
学校や保育園の手続きもあるし
熱を出せば仕事を休まなくてはいけません。
1日生きるだけで精神をすり減らしていました。
さらにモラハラ後遺症のフラッシュバックで
怒りと悲しみに振り回されることも…。
どうしたら抜け出せるか分からず、
ただ毎日を繰り返し
子どもを怒鳴るようになってしまいました。
こんな母親でいたくない。
子どもを悲しませ、笑顔にできない。
私は自信を失い、自分が大嫌いでした。
そんな私が、「ある出会い」をきっかけに
自分の気持ちをコントロールし
子どもの生活を優しく見守れるママに。
さらには、これからの人生は
モラハラに縛られず楽しんでいこう!
と思えるまで前向きな心を手に入れました。
今でこそ、子どもと仲良しで幸せですが
メンタル不調から抜け出す前の私は
子どもと遊ぶこともできず
自己嫌悪で落ち込み、
またイライラすることの繰り返し。
「子どももメンタル不調になるかも知れない」と
不安を抱えながらも
何も行動することができず
ただ、不幸な未来に向かって
突き進んでいました。
そんな私がどうやって
苦しい日々を抜け出したか?
抱えている病気をコントロールし
本来の私らしさを取り戻して
子どもと笑顔で過ごせるようになったのか?
今となっては思い出したくもない
恥ずかしい失敗談も合わせて
包み隠さず皆さんに
お伝えしたいと思います。
子どもとの穏やかな生活を
手にしたいと思っている方。
モラハラ後遺症やメンタル不調を
なんとかしたい…!と思っている方。
自分らしさを取り戻し、心から笑って
自由に過ごせる生活がしてみたいと思う方。
つらかった生活を忘れ、
ストレスフリーな毎日を過ごしたい方。
そんなあなたの人生を左右する
きっかけに”必ず”なるはずです。
ぜひ最後まで
お付き合いください。
モラハラの日々。
今から19年前の秋、長女が生まれました。
私が仕事に復帰すると、夫は
だんだん不機嫌なことが増えていきました。
モヤッとするけど、言い返すほどではない?
私にも悪いところがあったかも…
自信がない私は、言い返せませんでした。
するとさらに、私の大切なものを
けなす発言が増えていきました。
最初は、両親や実家のこと。
厳しい両親なので
あまり交流していなかったのですが
行き違いから、もめ事になってしまいました。
どうしたらいいかわからず
夫に相談したところ…
「るかの家族は元々、信用ならない」
「俺の経歴にも傷がつく」
「どうするの?縁切りなよ」
いきなり、縁切りを勧めてきたのです。
たとえケンカをしたとしても、
私の生まれ育った家で
たった一つの故郷なのに?!
まさか、そこまで言われると思わず
とてもショックを受けました。
しかし、日頃から
自信を失いがちであった私は
何も言い返すことができず
結局、夫の言いなりになり
実家との関わりを絶ってしまいました。
それから、夫と義母から
「変な実家」「変な親」と言われ続け…
さすがに我慢ができず
悪口をやめてと伝えたのですが
全く聞き入れてもらえませんでした。
それだけでなく、夫は
私の家事についても否定するようになり
ある時…
正社員を辞めるように言われたのです。
これは、私にとって
絶対に受け入れられない事でした。
私は以前から、一生懸命に働く母を見て
自分も働き続けたいと願っていました。
そのことは結婚前にも話していて
「るかちゃんがやりたいようにしなよ!」
と理解を示してくれていたはずの夫。
それは結婚する時に
私が出した「唯一の条件」でした。
私は「約束がちがうよ」と
必死の思いで伝えましたが…
「家事がなってない」
「休日の掃除が大変すぎる」
「遊びに行けないのが不満」
と言われ、泣きながらお願いしても
冷たい目で見られるだけ。
あの時の悔しさは忘れられません。
さらに夫はエスカレートし
「俺より稼いでくるなら主夫やってもいいよ」
「お前のやってる家事なんか3日で覚えられる」
「主婦の仕事って、
箸でフライパンつつくことでしょ?」
こんな、家事をバカにしたようなことも
毎日言うようになりました。
まさか、優しくて誠実なはずの
夫からこんな言葉を言われるなんて。
とてもショックでした。
そして、何も言い返せない自分。
情けなくて悔しくて
涙が止まりませんでした。
その時から完全に夫への信頼をなくし
仕事にのめり込むようになった私。
文句を言われたくないので、
寝不足になっても家事は欠かさずしました。
夫は、娘の寝かしつけにいき
そのまま寝てしまいます。
そして終わる頃に何故か起きてきて
「まだ終わってないの?」と
不機嫌そうに言っていました。
そういう毎日で、私は
慢性的な過労状態になっていました。
ある日のこと。
職場での些細な出来事がきっかけで
毎日のように睡眠が浅く
夜中に何度も目が覚めるように…。
もともと、精神疾患について勉強し
資格を持っていた私は、
「この状況、ヤバい」と青ざめました。
「不眠」は精神疾患の初期症状です。
急いでメンタルクリニックに行くと
「適応障害」と診断がされました。
さらには、
通院先のクリニックから出された薬で
ひどいアレルギー症状が出てしまい…
なんと17日間も入院することに
なってしまいました。
自分がメンタルクリニックに行くとは
思ってもみませんでした。
その上、入院なんて…。
それだけでも相当なダメージなのに、
さらに想定外の出来事が起きたのです。
退院した翌日のこと。
夫が「俺、体調悪い」と言い出しました。
話を聞いていくと、
自分も「うつっぽい症状がある」
「るかの入院で疲れ切ったんだよ」
「もう仕事に行けない」と言うのです。
責任を感じた私は、夫を
自分が通うクリニックに連れて行きました。
夫はそこで「軽度のうつ状態」
「無理しない程度に仕事してください」
そう診断されてホッとしましたが…
なぜか「うつと診断された!」と言い、
翌日から仕事を休み始めました。
義母からも
「るかさんの看病で大変だったのよ」
「一番大変なのは〇〇(夫)なんだから」
と言われ、責められている気持ちになり…
必死に家事育児をこなすしかない状況に。
休養中の私がこんなに忙しくて、
夫はずっと布団で寝ている生活に…
なんか、おかしくない?
モヤモヤはどんどん溜まっていくばかり。
実は、私は退院後に改めて
「中程度のうつ病」と診断されていました。
私の方が症状が重くて
休まなければいけないはずなのに
私の方が働いているのは何故??
ようやく「おかしさ」に気づいて
ネットで検索してみたところ…
「モラルハラスメント」
という言葉が見つかりました。
その内容が、これまでの夫の行動に
当てはまる内容だったのです。
妻が体調不良になると
自分も必ず不調を訴える
という項目もありました。
それから主治医と相談していく中で、
私のうつ病の原因は
夫からのモラハラだとわかりました。
でも、どうしたらいいのか?
私はうつ病で休職しているし、
離婚なんて無理だと思ったのです。
これから人生どうしよう?
子ども達はどうやって育てたらいいの?
考えても考えても
思考力が落ちていた私に答えは出せず
アイディアも浮かばないまま、
ただ漫然と月日が過ぎていきました…。
本当は、ずっと離婚したかったんだ…
そんな長年の本心に気付いたものの、
メソメソと泣くことしかできませんでした。
離婚を決意。
この状況を打ち破ったのは
私でも、子どもでもなく…
なんと、飼っていた猫でした。
夫が「自分に懐かない」と怒り、
猫を押さえつけて顔を殴ったのです。
飛び散った血の跡と、猫の傷を見つけて
夫を問いただすと、暴力を認めました。
こんな環境で子どもを育ててはいけない!!
怒りと共に強い力が湧いたあの瞬間を、
私は、忘れることはないでしょう。
その日からの私は
急に頭の中がクリアになり、冷静でした。
離婚調停の手続き、
子どもの親権、戸籍等について調べ
無料法律相談にも行きました。
準備をととのえた私は
もう、なんの迷いもありません。
すぐ夫を呼び出し、離婚を告げました。
「るかの信頼はゼロかもしれないけど
少しでも上がるよう努力するから!」
こんなことを言われ、
今さら何を言っているのかと
心底あきれました。
それから離婚が成立するまで、
悔しいことが山ほど起きましたし
悩みも沢山ありました。
それでも達成できたのは、
離婚が正しい道だと信じていたから。
子どもに耐えるだけの自分を
見せたくなかったから。
私は、ひとりの女性として
自分らしく生きて行きたいと思ったのです。
暴力に負けない自分になりたかった。
そして半年間の調停の間に
アパートを借りて引っ越しを済ませ、
少しずつ職場にも復帰していきました。
うつ病に悩み、子育てがうまく行かない日々。
順調だと思っていた、その矢先。
何か糸が切れたのか、
うつ病の症状に悩まされるように…。
朝起きると
急に起き上がれなくなっていたり。
急に涙が止まらなくなることもありました。
さらに、職場に戻ってみたけれど、
私の体力は想像以上に落ちていました。
この事実は、
生活の不安をあおるには十分すぎました。
たった半日、勤務しただけなのに…
帰りの電車(10分の距離)で
立っていられないほどの眠気に襲われる。
体に力が入らず、何をするにも体が重い。
さらに、鏡に写っているのは
げっそりした覇気のないオバサン。
こんな状態で、何年も子育てするの?
たった1人で…?
ものすごい孤独と不安。
常に精神的に追い詰められていました。
さらに今度は、気持ちの
コントロールが難しくなりました。
イライラすることが増えていく…。
これは子育てする上で
自己嫌悪になる大きな要因でした。
その頃、娘たちはまだ幼く‥
特に次女は表現することが苦手でした。
何か伝えたいことがあっても
黙ったまま、何時間も固まってしまいます。
そうなると、平日の時間がない中で
食事もしないし、お風呂もに入りません。
放っておいたら朝までその状態。
無理に動かそうとすれば
手のつけられない癇癪状態に…!
その頃、次女が通っていた保育園は
生活や食事について厳しかったので
「お母さん、しっかりして」
と言われてしまいます。
ただでさえ自信がなかった私は
「はい、すみません」と言うのが精一杯。
周りのお母さんたちは幸せそうで、
立派に見えました。
私は誰にも相談できず…
怒られることが怖くて、
ビクビク過ごす日々でした。
事件!変わることを決意。
そしてある時のこと…
次女が大泣きし、手がつけられない状態に。
「ヤダァァァァァ!!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
夜の22時に、地獄かと思うほどの絶叫。
私の精神状態はもう限界でした。
「いい加減にしてよ!!」
一言、怒りに任せて叫んだら最後。
感情が溢れて止められなくなってしまい…
「もう無理!どうしろって言うの?」
それからどのくらい叫んでいたか、
私は全く覚えていません。
『ピンポーン』
家のドアチャイムが鳴り、出てみると
そこに、4人の警察官が。
その時のことは、
この先も一生忘れることはないでしょう。
「ご近所から通報がありました」
「子どもの泣き声と怒鳴り声がすると」
何が起きたのか理解できないまま、
警察官が家に入ってきました。
娘は別室でアザがないか調べられ
「お母さんのこと好き?」と聞かれている…
子育てに自信がなかった私は
「嫌い」と言われる…と思いました。
もう、これで終わりだ。
子どもと引き離される。
そう覚悟しました。
でも、ふたりは「好き」と言ってくれた…
今までの自分を後悔し、
変わりたいと強く思いました。
無償の愛をくれてたのは、
実は子どもの方なんですよね。
ずっと勘違いしていたなと思いました。
もう、感情にまかせて怒りたくない。
娘たちの信頼に応えたい。
このままではいけない。立ち直って
今度こそ、負けない私にならなければ!!
これは、私が強く決心した出来事でした。
日常的な虐待はないので…と
警察官は帰っていきました。
しかし、不安定な様子なので、
保健師さんの訪問を受けることに。
嫌だなぁと思いつつ、
仕方なく受け入れることになりました。
思いがけない出会い。
実は、それまで私は、相談することに
何ひとつ期待していませんでした。
「話してもどうせ解決しない」
「お金がないとか、不安だとか言っても
お金は増えないし不安も消えない」
そんなふうに思っていたのです。
話したところで何もないのに…
それでも話を聞かなきゃいけないなんて
保健師さんも大変だな…とすら思っていました。
ですが話をしていくうちに
私は保健師さんに慣れてきました。
そして、いつの間にか心を許していました。
私は誰も信じないつもりで
なりふり構わず生きていたのかもしれません。
もう誰にも馬鹿にされたくない。
自分で生きられることを証明したい。
弱い姿なんか見せてなるものか。
そんな気持ちでやってきたけど、
限界だったと、今では分かります。
保健師さんは私を否定しませんでした。
私が負い目に感じていたこと…
保育園に注意されることや、
ろくに子どもと遊んであげられていないこと。
自分がいかにダメな親か分かっているけど、
自分ではどうにもできないという悩み。
こんなこと言ったら呆れられるかな
という内容でも、うんうんと聞いてくれました。
あれだけ「自分でやるんだ」と思っていたのに
なんだかんだ、話してしまった私。
本当は、誰かに聞いて欲しかったのかな…
そんな本当の気持ちに気がつけたことが
今となっては、大きな転機だったのです。
気づかせてくれたのは保健師さんでした。
この時から、「話してみようかな」
と思うことが増えていきました。
話せる相手がだんだんと増えていき…
少しずつ自分の気持ちを
話せるようになっていきました。
嘘のように変わり始めた自分。
言葉にすると考えが整理され
感情に振り回されることが減っていきました。
自分が抱えている感情、悩み
不満に思っていることなど
言葉にすると明らかになってきます。
そして、自然と「どうすればいいか」
考えられるようになっていたんです!
子どもは時々、癇癪を起こしましたが
「イライラしてもおさまる訳じゃないしね」
と落ち着いて待ってあげられるように。
たまに怒ってしまっても、
自分の気持ちを落ち着けてから、改めて
子どもの話を聞ける余裕が出てきました。
それに、自分の体調を把握できたことも
とても効果がありました。
これまでは知らないうちに悪化し
急にダウンすることも…。
しかし、人に話すことで
自分の変化がわかりやすくなり
うまくコントロールできるように!
悪くなる前に予防できるので
その分、回復は最速最短でできました。
このことをきっかけに、
私のうつ病はどんどん改善していったのです!
元気に過ごせるようになると
家事も安定してできるようになり、
手作りの食事を囲めることも増えました。
そしてなんと…
手作りの食事だと安心するのか、
子ども達が精神的に安定していきました!
あんなに断ち切れなかった
「負のループ」が
みるみる改善していったのです!!
実は、この頃から子どもたちは
自律神経系の病気などで休みがちになったり
急に学校に行けなくなってしまったり、
大変な時期に差し掛かっていました。
それでも笑顔を忘れず乗り越えられたのは、
自分の感情や体調不良をうまく
コントロールできるようになっていたから。
落ち着いて対応できたおかげか、
娘たちはすっかり元気になっています!
そして、次のステップへ。
その後、メンタルヘルスの仕事で
モラハラを受けた方や
メンタル不調のママをサポートしていくと…
なんと、同じように
元気になっていく方が続出したんです!!
モラハラを受けた方の中には
自分が悪いのではないか?
と悩んでしまう方が多くいました。
私も同じ経験をしたので、
そう思ってしまう理由が分かります。
お気持ちに寄り添い
一緒に取り組んでいきながら
私が気づいたことをお伝えすると
その方も私と同じように
メンタル不調がよくなっていきました。
「るかさんに話を聞いてもらえてよかった!」
「モラハラと戦う勇気が湧いてきた!」
そんなお話をいただけるようになりました。
メンタル不調が重いママもいましたが
不安なときは定期的にお話をして
その方はついに、就職も離婚も叶えました!
また、つらかった自分の経験から
気持ちを吐き出す場所が必要だ!
そう思って対応していくと…
お子さんや周囲の人との関係が
改善していく人が続出したのです。
ちょっとした出来事もグチも
話したい時に話していい。
自分の気持ちを正直に話しても大丈夫。
そんなふうに思って安心して話してくれると、
私の方が嬉しい気持ちになりました。
私自身は、今
つらい時期を経験したからこそ
本当の自分らしさを見つけられた!
モラハラを乗り越えて
自分に自信を持てるようになった!
こんなふうに思っています。
過去の出来事を乗り越えられたと、
自信を持って持って言うことが出来ます!
モラハラはとてもつらく、
その後遺症は長く続きます。
でも、正しい方法でケアすれば…
元の自分に戻るだけでなく、
もっと自分を好きになれるんです!!
あなたが幸せでいれば、
子どもはそんなあなたの姿を見て
安心感から笑顔でいっぱいに!!
モラハラでメンタル不調になっても
子どもと一緒に幸せになれます!!
あなたは
「どうせ私には無理」
こんな風に思っていませんか?
過去の私がそうだったように
自分の殻に閉じこもっているなら、
このまま変わることはありません。
でも、変わりたいからこそ、
ここまで読んでくれたのだと思います!
もし、本気で今の状況を変えたい!
と思っているのであれば
今がそのチャンスなのかもしれません。
チャンスは行動しなければ
掴むことができません。
本気で今の状況を脱し、
子どもと笑顔になりたいなら
今すぐ行動してください。
次は、あなたの番です!!
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